カイマナヒラの家 (集英社文庫)のレビュー
とてもよくできたファンタジー
こんな世界に憧れて飛び出してしまったら、バカじゃないのと
言われてしまうのでしょうね(笑)今の日本では。
そういう意味でも、とてもよくできた(まるで手が届きそうな)ファンタジーだと思いました。
読みながらなんとなく、ホットケーキとジントニックが飲みたい!と思ってしまった…。
池澤さんが、苦労せずに書いた物語なのだろうということがとても実感されます。
得意分野?ですね。「夏の朝の成層圏」と個人的には同列です。
言われてしまうのでしょうね(笑)今の日本では。
そういう意味でも、とてもよくできた(まるで手が届きそうな)ファンタジーだと思いました。
読みながらなんとなく、ホットケーキとジントニックが飲みたい!と思ってしまった…。
池澤さんが、苦労せずに書いた物語なのだろうということがとても実感されます。
得意分野?ですね。「夏の朝の成層圏」と個人的には同列です。
夏をむかえる前に。
たった一つでもいい。心底愛情を持てるものに出会うことができると、人は生きていける。
この話の中では、それはサーフィンである。ハワイイであるかもしれない。
サーフィンは自然を相手にする。だからサーファーは、自然の時の流れに敏感になるのかもしれない。
もちろん、現代の話なのだが、デジタルな時間の流れをまったく感じさせない。
そこにあるのは、古から連綿と続く自然の時間。それが心地いい。
人と海と波とサーフィンと。そしてハワイイがあればそれでいい。
読むと、ハワイイに行きたくなる本。
ハワイとハワイイはまったく違うもの。そう感じた。
この話の中では、それはサーフィンである。ハワイイであるかもしれない。
サーフィンは自然を相手にする。だからサーファーは、自然の時の流れに敏感になるのかもしれない。
もちろん、現代の話なのだが、デジタルな時間の流れをまったく感じさせない。
そこにあるのは、古から連綿と続く自然の時間。それが心地いい。
人と海と波とサーフィンと。そしてハワイイがあればそれでいい。
読むと、ハワイイに行きたくなる本。
ハワイとハワイイはまったく違うもの。そう感じた。
写真も美しい
常夏のHawaiiの海岸近くに昔建てられた大邸宅。それが表題の「カイマナヒラの家」である。これは、少しいわく付きのその家に集い、共に仮住まいすることになった者たちの物語である。
「大きな家に仮住まいする」と言えば、「スティル・ライフ」。そう思った池澤ファンならば、作家が今までに紡いできた幾つかの作品のスタイルをこの物語に見出すことだろう(「スティル・ライフ」以外にも、私は5つの長・短編を思い出した。もちろん私の勝手な思い込みだし、人によって数は違うだろう。みなさんの読書の楽しみを削がないためにも、タイトルは言わないでおく)。
もちろんそんな予備知識はなくても、誰もがゆったりとした気分に浸れる、そんな物語だと思う。ここに出てくる人たちは、バラバラなようでいて結びついている。だからと言って、べトッと結びついているわけではない。また、気ままなようでいて、真面目に生きている。だからと言って、クソ真面目というわけではない。そういう人たちが、人生のある一時期に一所に集い、それなりの秩序、一つの世界が形成され、そしてそれはいつしか想い出となっていく。それが「カイマナヒラの家」なのである。
ハワイでこんな家に住めたら・・
この物語は架空であるが、家は実在した。・・となっているが、ハワイにはまってる人のほとんどがこの物語のような(特に日本人の)生活ぶりに共感し、うらやましく思うだろうと思う。 登場人物の人生はそれぞれハードな部分もあるが、写真効果もあいまって、読み終えるとのんびり 癒される感じです。

オアフ島のダイヤモンド・ヘッド(この地名をハワイイ語でいうと、カイマナヒラだという)近くにある、昔の豪邸に仮住まいする普通の人々の、ささやかだけれど胸に響く思い出を、「今よりずっと若くて、心の底にたまった絶望の量もずっと少なかった」ころ、日本人旅行者である「ぼく」が寡黙にきく、という池澤文学ではおなじみのパターンで、物語はつづられる。
写真もそれはそれは美しく、今度ハワイイを訪ねたら、ワイキキを離れて、ダイヤモンド・ヘッドの麓まで回ってみたい、と思わされた。ハワイイの心広き神に祝福された荘厳な海と優しい潮風を、全身で感じさせてくれる快作。